Lichtung Criticism

ナンバユウキ|美学と批評|Twitter: @deinotaton|美学:lichtung.hatenablog.com

自己啓発するライトノベル『弱キャラ友崎くん』とゲームとしての人生

成長譚と自己啓発

弱キャラ友崎くん』(屋久ユウキ著、ガガガ文庫講談社、2016年〜)は自己啓発するライトノベルだ。

ライトノベルの基本形はビルトゥンクス・ロマンである。欠点のある主人公(異性愛男性)は、ヒロインと出会い、友情を育み、葛藤の中で成長し、一回り大きくなって性愛と友愛を手にする。

しかし成長譚としてのライトノベルのすべてが自己啓発ではない。なぜなら、ライトノベルを読んで魔法の練習をしたりしない(するかもしれないが)。成長譚は距離化されている。

だが、『友崎くん』の作者屋久ユウキツイッター上で「友崎チャレンジ」として、読者の行動変容を促し、それを称賛する。読者は『友崎くん』を自己啓発書として読んでいるのだ。革命的な自己変容への期待を込めて。

自己啓発書の購買層は20代以降であり中高生が手に取ることは少ない*1。そこに現れた『弱キャラ友崎くん』は学生のための自己啓発書として機能する。

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ゲームという隠喩

ここで描かれるのは、「人生ハゲームデアル」という概念メタファーだ。このメタファーは、ライトノベルの成長物語の形式と組み合わせられる。ゲームというメタファーは「段階ごとの成長」という性質を人生に照射する。主人公友崎はある時出会った「リア充」である日南葵からレッスンを受け、友崎は見た目や姿勢や喋り方を変えていく。「クラスメイトに話しかける」「何かを頼む」といったステップごとの課題をクリアしていく。

「人生ハゲームデアル」。この概念メタファーは二つ目の機能を持つ。このレトリックは本質的に世界にゲーム的な構造を見出そうとする構えを作り出す。だが世界はゲームではない。なぜなら世界には公正なルールをデザインするゲームデザイナーがいないから。世界は誰もデザインしていないのだからそこでのクリア目標などない。だが、日南はそれと距離を取りつつコミットする。友崎はその距離を疑いの側に置きつつ、読者とともに啓発の世界へと入っていく。読者は自己啓発へと巧みに誘われる。「ゲームハ人生デアル」と日南は繰り返す。

だが「人生ハ遊ビデアル」とは言わない。世界を遊ぶ、つまりその時々の現在を楽しむアプローチもあるはずだがそれは示されない。あくまで人生は単線的でステージとレベルと成長の観点から捉えられる。読者は日南のメタファーに入り込んでいく。読者は友崎の獲得したものを紹介される。友人、恋人、人気。ここで、この本はたんなる自己啓発本とは一線を画する。これらは自己啓発本の中ではうまく示しにくい。物語であるからこそのヴィヴィッドさ。魅力的なキャラクタたちと主人公の友崎は交友を結ぶ。高校生としてクリアすべきとされる課題をこなしていく。

対戦ゲームの日本一を誇るハードコアゲーマーである友崎がハードコアな人生ゲーマーへと転回する物語。人生ガチ勢になる物語。人生の課題に向き合い、それをこなしていき、人間としての魅力を増していく物語。それは祝福の物語だ。

わたしたちも人生ガチ勢である。ガチ勢にならないには相当な精神力が必要になる。わたしたちは卓越を目指さないでいられるほど強くない。

だが、この物語は危険な匂いを放っている。自己と他者をゲームプレイヤとして、そして、人生をゲームとして捉えるとき、わたしたちはこの世界があらかじめ定められたゲームでないことを忘れそうになる。この世界は既成のゲームではない。なぜなら、わたしたち自身がこの世界のゲームのルールを形成しているからだ。この世界はクソゲーだ。第一巻で吐き捨てる友崎は正しい。わたしたちにはあらゆる運が不公平に割り当てられている。だが、彼は間違ってもいる。世界は既成のゲームではない。ここから降りることができない代わりに、このルール自体を変えられる。その可能性に開かれている。ルールを改変できるゲームなのだ。

わたしたちは、プレイヤーになりつつゲームデザイナーにならなければならない

自己啓発はプレイヤースキルの醸成にかまけて、世界のデザインスキルを語らない。わたしたちは両義的にならなければならない。人生を神ゲーとしてプレイしながら、人生を正しくクソゲーと認知して、そのリメイクを目指さなければならない。ゲーム内の美徳を鍛えながら、ゲーム外からルールを批判しなければならない。「ゲームの終わりより、世界の終りを想像するほうが容易い」としても。

今語った萌芽を『弱キャラ友崎くん』に見いだせもする。自己啓発に肩まで浸かりながら、友崎に自己啓発的な人生観を疑わせる両義的な態度を仕込んでもいる。現在本編は8巻まで刊行されている。友崎はどんな人生を選び取るのだろうか。彼は人生のコントローラーを握り続けるのだろうか? あるいは、彼がコントローラーを置いた先は、ゲームではない人生が待っているのだろうか?

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*1:牧野智和、2015年、『日常に侵入する自己啓発勁草書房、65–66頁参照。