Lichtung Criticism

ナンバユウキ|美学と批評|Twitter: @deinotaton|美学:lichtung.hatenablog.com

未来の哲学宣言

SFの物語を参加者とともにつくることで、未来のプロダクトやサービスの可能性や課題を対話するSFプロトタイピング。その仕事をしていると、いろいろな未来を人々とともに想像する。来てほしい未来や、どこか気味の悪い未来。

あるワークショップが終わったあと、わたしはふと「未来とは何なのだろう?」と思った。

それからわたしはちょこちょこ未来についての論考を紐解いたりするのだが、未来とは? と直接に問う議論にはまだ出会っていない。

だからここから、未来を論じていきたい。わたしの専門は哲学だから、未来を哲学的に考える「未来の哲学」を論じていきたい。

未来の哲学のコンテンツ

とはいえ、未来とは何か? と問うだけでは茫漠としているから、限定が必要だ。

ここで未来哲学の内訳を考えてみよう。

  1. 未来存在論:未来はどこにどんなふうに存在するのか? 未来は実在しているのか? 未来の本性とは何か? 未来はなぜ存在し続けられるのか? 未来は突如崩壊することがないのか?
  2. 未来認識論:わたしたちはどのようにして未来を予測できるのか? その予測は認識論的な意味での知識なのだろうか?
  3. 未来倫理学:未来に対する現在の責任は世代間倫理や環境倫理に尽くされるのだろうか? より根本的にわたしたちがどんな未来を創造できるかがつねに倫理的に問われるのではないか? そもそも未来を存在させるべきだろうか?
  4. 未来美学:未来とは美的にどんなふうに経験されるのだろうか? 懐かしさに対峙される未来への憧れとはどのような美的経験を生み出せるのか?

要素はまだまだあるがとりあえずのわたしの関心に関わるのは以上だ。あらためて未来哲学を言い表すと次のようになる。

未来哲学:未来の存在論的地位、本性、あるいは未来の認識可能性、未来に対する倫理的責任、その美的価値など、未来に対する哲学的アプローチ。

未来哲学は、わたしたちすべてにとって重要だ。なぜなら、他でもないわたしたちの行動が未来を決定し、過去の未来に規定されてきたから。

とくに、未来への想像がビジネスで求められる現在において、未来に対する哲学的な分析・解明は様々な人にヒントを与えてくれる。なぜなら、じぶんたちがそもそも何を考えようとしているのかが言語的・図式的に明確化されることで、未来を扱う際、じぶんたちが考えるべきポイントをその都度共有・議論できるようになるはずだからだ。

そして、少なくとも未来への想像をプロモートしたいと思うSFプロトタイピングの実践者であるわたしにとっては、未来哲学を論じることは魅力的で、必要である。