Lichtung Criticism

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鹿乃・田中秀和『yuanfen』とめぐりあう縁

はじめに

キュートさと冷たさが同時に響く声とやさしくも影のある歌詞によってリスナーを惹きつける、シンガーソングライター鹿乃(かの)、そして、挑戦的でしかしポップな楽曲とアレンジでアニメーションのテーマソングから劇伴、そしてキャラクターソングを数多く手がけるMONACO所属の作曲家田中秀和*1がタッグを組み、さまざまなアレンジャーが参加した鹿乃の4thアルバム『yuanfen』(2020年、インペリアルレコード)。

本作は、これまでとは異なり、全編にわたって鹿乃じしんによる作詞、そして、すべての作曲を田中秀和が担当したことで、そして、ふたりとアレンジャーによる作品としての類稀な存在感により、発売からひとびとの注目を集めている。

それゆえか、すぐれたレビューがこの短期間ですでにいくつかある*2。これらのレビューに続いてこの作品を語るなら、同じしかたではうまくいかない。なので、以上の記事では中心的にはふれられていないだろうことを語りたい。そこで、この記事では、鹿乃の歌唱と歌詞、そして田中秀和やアレンジャーによる作編曲の響き合いから楽曲をさらによく味わうためのわたしなりの聴き方を共有することを目指す*3

具体的には、どんな音楽的側面に注意して聴くのか、いかに歌詞の意味を解釈するのか、そして、音楽的側面と歌詞とのふたつの意味の響き合いからどのように歌を聴くのか、という観点から『yuanfen』の批評を行いたい。

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1. 午前0時の無力な神様

編曲:Aire*4

鹿乃のキュートで負けん気のある声を中心にしながら「愚かな人生」を「なんて素敵なんでしょう」とつよく肯定する。

いわゆる渋谷系サウンドもまた、キュートなだけではなく、パンキッシュで疾走感にあふれている。サビのメロディのため方やキメの作りかたは作編曲者の確信犯的な渋谷系へのオマージュでもある。

リード曲に続いて、つぎの曲でも、鹿乃はもう一度くらい日々と希望を歌う。だが、それは、この曲よりも控えめでためらいも含まれている。その違いを聴き分けてみたい。

2. 光れ

光れ

光れ

編曲:Nor

Future Baseを意識させるエレクトロニックなサウンド、キラキラと輝くシンセのアルペジオやコード、イントロの印象的なフレーズ、輝度高めの楽曲。それに対比されるように鹿乃の声の色は掠れを印象づけ、低い位置から歌われている。

器楽的には明るく輝き、鹿乃の声は暗く錆びているような対比がなされている。明るい曲想のなかに影が差すように、好きだった曲は悲しい記憶に、思い出したくない記憶を押し込めながら、前に進んでいく歌詞。

たんなる前向きな曲ではない。それが象徴的に現れている部分がある。

サビのおわり直前の「不器用に積み上げて」の音の積み上げ方はまさに不器用で不安定な和音となっており、歌詞の意味と音楽的響きとが響き合うとてもおもしろいフレーズ。

鹿乃:最初は田中さんに「これは架空の人物の歌詞で……」と言い訳していたんですけど、この曲は、実は本当に自分が歌をやめようと思っていた瞬間のことを書いたものでした。(鹿乃&田中 2020)

どこかで終わることなく、繰り返し、繰り返し、前に進んでいくというテーマはこのアルバム全体のポジティブな側面として静かに響いている。それでは、ネガティブな繰り返しとはなんだろうか。つぎの曲を聴いてみよう。

3. yours

yours

yours

編曲:田中秀和MONACA

くらい部屋で膝を抱え月を見上げ「綺麗ですね」ひとりつぶやくイントロから届かない「あなた」への思いが加速し続ける憂鬱のサンバ

「あなたの友達」とサビでの何度も醒める折り返し、歌い手の情動の混迷を表出する変拍子の間奏。田中秀和の作曲と鹿乃の歌詞と歌唱の一致。

歌詞の側面からみれば、"I love you"の訳として夏目漱石が言ったとか言わないとかで有名な「月が綺麗ですね」を想起させるはじまりから、ドラマティックな歌詞によって鹿乃が歌う「わたし」の独白へと引き込まれていく。

この曲を聴いたとき、わたしは気づいた。音楽とは、繰り返しであるとともに、音の断絶でもある。「あなたの友達」という吐き捨てるようなことばで終わるサビは、そのたびに「あなた」への届かなさを音楽的にしるしづける、それにより、歌い手の独白は音楽によって承認されてしまう。

「わたし」はどうあがいても「あなたの友達」なのだ。縁はここでは断たれてしまっている。変拍子の千切れるようなリズムは、恨み、愛、嫉妬、希望、夢想、さまざまな思いに引き裂かれている。そのすべての情動の煮詰まった七つのギターの刻みが印象深い。

この曲では、ネガティブに「わたし」は今日も悔恨を繰り返していく。

4. KILIG

KILIG

KILIG

編曲:ハヤシベトモノリ

がらりと雰囲気を変え、幸福のトーンに満たされる。

ブラスとハープ、弦楽、チャイム、明るいシンセ、水がぽたりと落ちる音が繰り返される。心をころころと転がるようなくすぐったく不安なようで幸福な瞬間を切り取る。

鹿乃:〔……〕この曲は、ファンの方が聴いてくださったときに、きっと「初恋の曲なのかな」と思う人も多いんじゃないかと思うんですけど、これは先ほどお話した「Linaria Girl」のように「音楽に恋に落ちる瞬間」を表現したものなんです。(鹿乃&田中 2020)

なぜこの曲はこんなにもふしぎにくすぐったい気持ちを引き起こすのだろうか? Bメロの象の鳴き声のようなブラスの音に代表されるように「色んな音色が出ては引っ込む雰囲気」(鹿乃&田中 2020)がつくりだされている。

幸福のイメージは、断片的なものの変奏曲なのかもしれない。日曜日のフライパンの音、快哉を叫ぶ声、あたたかく迎え入れてくれるような、門出を祝うような響き。

さまざまな幸福な音色が連想され、消えていく。それが幸福のイメージの自由なつながりを可能にしているからなのかもしれない。断片的なイメージが現れ消え去り、残響が重なり合う曲。

5. 聴いて

聴いて

聴いて

編曲:田中秀和MONACA

アコースティックな静かな響きからはじまり、メロディはおおきな変化ではなく、よく似た音型が繰り返し現れる。

歌詞もまた、同一の形をしたことばが繰り返されながら、メッセージが少しずつ伝えられていく。それは鹿乃による語りかけのように「五分にも満たないこの声を/五分間で語れる思いを伝えるためにわたしは歌う/じぶんのためにわたしは歌うから」という直接的な、鹿乃の告白を聴くような楽曲。

鹿乃:他には、アルバムのどこかで自分自身を表現する歌詞を書こうと思っていて、デモを聴いて「絶対にこの曲だ」と思ったのが5曲目の「聴いて」でした。(鹿乃&田中 2020)

メロディのちいさな変化を倍増し世界を広げるような後ろの楽器隊とそのアレンジがこの曲のもうひとりの主役だ。鹿乃のことばを聴いたあと、アルバムはつぎの物語へと進む。

6. 漫ろ雨

漫ろ雨

漫ろ雨

編曲:曽我淳一

この曲には、雨が降り続いている

冒頭から、ライドシンバルやハイハットのしゃらしゃらとした高音が響き、朝から降り続く雨を描写する。

Bメロでは、窓を伝い落ちる雨粒のようなくねるアルペジオがそこここから聴こえる。

サビは、ギターとキーボードの分厚い中低音域が響く。雨のなかの傘の中のサウンドスケープのように。この曲はアルバム中、もっとも音響的な空間を想起させる曲だ。「きみ」への静かに降り続く優しい愛に包まれている。

歌い手の想いである雨をもっともつよく想起させるのは、サビのメロディである。

サビは、下降する日本的なメロディがさらさらと降る雨のように現れて消えていく。それをエコーするシンセの音は、雨の残像のように耳に残る

さいごに、届くはずのない「きみ」に、しかし歌い手の想いは雨にのって伝わってしまう。

「雲の隙間から/覗き出す光/振りむいたきみの顔/目と目が合う/差し出す傘も遅いと気づいた/それなのにさ/苦笑い/きみがすきです」

雨はきみに降り注ぎ、もはや歌い手の想いははしなくも届いてしまった。そして、晴れてしまったから、直接ことばにするしかなくなってしまったのだった。

音響的な雨のモチーフと歌詞の物語の中の歌い手の想いとが響き合う、シンプルなようで幾層にも重なる意味の残響を感じることのできる一曲

7. おかえり

おかえり

おかえり

編曲:Oliver Good(MONACA

歌い手はがらりと変わり、こんどは鹿乃はしろいふわふわした犬になる。犬の「ぼく」はパパとママ、そして隣にいる「きみ」に囲まれ、幸福な生活を謳う。「10回目の12月」から「きみ」は忙しく「だいすき」を言ってくれなくなっていき「パパ」の白い髪は増え「ママ」の寂しそうな顔が増えていく。

音楽が進行するごとに時間はどんどんと進んでいってしまう。Aメロ、Bメロ、サビと繰り返すたびに、季節を繰り返すように、ウインドチャイム、シンセチャイム、タンバリンなど、高音の楽器の響きが冬の冷たさを、温かみのあるステレオのエレキギターは、暖かさを表現するように、やさしくかなしい出会いと別れの縁を歌った一曲。

つぎに鹿乃が成り代わるのは、壮絶な執着の関係だ。

8. 罰と罰

罰と罰

罰と罰

編曲:佐高陵

自嘲するようで懇願するような鹿乃の低く、無理をしたような声を聴いていると、聴き手の喉も詰まっていく。

鹿乃:この歌詞は、「執着しすぎた罰」「執着しなさすぎた罰」という意味で、「悪縁」のようなものを表現しているんです。悪縁って、どちらか一方が悪いわけではないと思うんですね。どっちにもすれ違いがあって、責任があって。そういう雰囲気を表現した曲でした。(鹿乃&田中 2020)

サビは本アルバムでももっとも攻撃的で、「はらはらと笑って見せて」のいまにも崩壊してしまいそうな極度の不安さのメロディがのたうちまわる。ピアノの低音のハンマーのようにぶつかってくる響きと、全編にわたって、残響のないバスドラムの音が聴き手の心を執拗にノックしてくる。Cメロののちの、こぼれ落ちる自嘲を交えたサビから、すべてを吹っ切ったような声には、奇妙な自信と明るさがある。楽曲もさることながら、鹿乃の歌唱表現の魅力を聴くことのできる一曲。

9. エンディングノート

エンディングノート

エンディングノート

編曲:sugarbeans

エンディングを飾るにふさわしく、晴れやかなコーラスとこれからの鹿乃の歩みを進めていくような着実に進行していくリズム。

鹿乃:ネットの中で生まれた「鹿乃」というキャラクターの終わりを想像して歌詞を書いてみました。(鹿乃&田中 2020)

歌い手は「ぼく」と歌い「鹿乃」というキャラクタ、あるいはわたしの言い方で言えば、鹿乃という実在の人物(パーソン)そのものでもなく、原作があるキャラクタでもなく、鹿乃という実在のパーソンと鑑賞者たちとがつくりあげてきたイメージとの交渉の中でつくりあげられた、鹿乃という「ペルソナ」として歌っている*5

鹿乃の声は、別れを惜しむようにやさしく、もれ出る思いを抑えるように吐息を含ませて、ふるえを交えている。

ながい後奏は、鹿乃がおじきをして去っていくような、フルアルバムの余韻を残してフェードアウトしていく。「ありがとう/あなたと出会えて」と歌う鹿乃は、このアルバムの歌たちの代わりに歌っているのかもしれない。偶然、聴き手と『yuanfen』たちが出会ったその出会いに対して

鹿乃はインタビューで、このアルバムが生まれなかった可能性を語っている。

鹿乃:でも、正直にお話すると、今回のアルバムをつくる前に、マネージャーさんや事務所の社長さんに、「音楽を辞めようかな」という話をしていたんです。メジャーレーベルで音楽活動ができるようになって、目標としていたことを達成してしまったときに、次にどうしていいのか分からなくなってしまって。もともと、「自分には個性がない」と悩んだりもしていたし、このまま音楽を続けていて、「何かになれるのか」「何かをつくれるのか」と、考えてしまっていました。そんなときに、「それでも音楽が好き」「自分の音楽を見つけたい」と思って、周りの方々にも励ましていただいて、もう一度頑張ってみようと思ってつくったのが、今回のアルバムでした。なので、今回は「もうちょっとわがままになってみよう!」と思ったんです(笑)。そこで、「アルバム本編を全部田中さんに書いてもらえないですか?」とリクエストしたのが、『yuanfen』のはじまりでした。(鹿乃&田中 2020)

アルバム最後のこの曲は「ありえた鹿乃」の可能性を歌った歌でもあるのだろう。

おわりに

鹿乃田中秀和、そして数々のアレンジャーによる『yuanfen』は、そのタイトル「缘分」をなぞるように、さまざまな出会いと別れを歌い奏でる

今日という最低の一日と人生最高のはじまりになる明日との出会いを祝福する「午前0時の無力な神様」、うまくいかない過去から、もう一度不器用に積み上げていく「光れ」、届くことのないあなたへの想いが加速し断絶する「yours」、音楽に出会い恋する幸福な瞬間と目覚めを味わう「KILIG」、繰り返すことばによって歌い手と聴き手の出会いを告白する「聴いて」、思い続けたきみの笑顔からはじまるつながりを響かせる「漫ろ雨」、犬とひととの重なりずれていく生きる時間を愛する「おかえり」、それぞれの悪縁を自嘲しすべてを捨てる「罰と罰」、さいごに、わたしたちと鹿乃とのありえたお別れといつかの別れを歌う「エンディングノート」。

音楽のゆたかさ、歌詞のゆたかさ、歌唱のゆたかさ、そしてこれらすべてが響き合い、一致し、ずれ合い、ゆたかなハーモニーをうみだす。不思議ないくつもの縁のように。

このアルバムが響かせる「縁」とは、鹿乃田中秀和の、アレンジャーたちとの運命的な『yuanfen』でもあり、そして、このアルバム『yuanfen』とわたしたち聴き手との出会いの「縁」でもある。

『yuanfen』は、そのタイトル「缘分」そのままに、さまざまな出会いと別れを、いくつもの響きの出会いと別れによって歌い奏でる、めぐりあう縁のアルバムだ。

難波優輝(分析美学と批評)

Twitter: @deinotaton

参考文献

Carroll, N. 2009. On criticism. Routledge.(『批評について––––芸術批評の哲学』森功次訳、勁草書房、2017年)

Isenberg, A. 1949. “Critical communication.” The philosophical review, 58 (4), 330-344.

あんでぃ. 2020. 「鹿乃『yuanfen』というアルバムの素晴らしさを語りたい。」『音楽は今日も息をする』< https://andy-music.hatenablog.com/entry/2020/03/07/231836 >.

鹿乃田中秀和. 2020. 「鹿乃×MONACA 田中秀和、アルバム『yuanfen』対談 “死”と向き合い明確になった今伝えたいこと」、文・取材=杉山仁、『Real Sound』< https://realsound.jp/2020/03/post-517550.html >.

ど〜でん. 2020. 「yuanfenについて」『ど〜でんのブログ』< https://dodensei.hatenablog.com/entry/2020/03/08/230707 >.

ナンバユウキ、2018年「バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ」Lichtung Criticism, < バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism >.

難波優輝. 2018.「バーチャルYouTuberの三つの身体:パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』50(9)特集バーチャルYouTuber、117-125. 青土社.

難波優輝. 2019a. 「浦上・ケビン・ファミリー『芸術と治療』注意と分散」Lichtung Criticism, < http://lichtung.hateblo.jp/entry/urakami.kevin.family.criticism >.

難波優輝. 2019b.「批評の新しい地図––––目的、理由、推論」『フィルカル』4 (3), 260-301. ミュー.

難波優輝. 2019c. 「いくつもの世界でうつくしい君:Official髭男dism「Pretender」と可能な世界」Lichtung Criticism', < https://note.mu/deinotaton/n/ne7ace1313b1f >.

リーティア. 2020. 「鹿乃×田中秀和「yuanfen」全曲レビュー ~アニソンと同人音楽の交点~」『リーティアの隙あらば音楽語り』< https://letia musiclover.hatenablog.com/entry/2020/03/05/001851 >.

以上ウェブ記事は2020/03/17最終閲覧。

引用例

難波優輝. 2020. 「鹿乃田中秀和『yuanfen』とめぐりあう縁」Lichtung Criticism, < http://lichtung.hateblo.jp/entry/kano.tanakahidekazu.yuanfen.meguriau.yuanfen >.

*1:ちなみに田中秀和神戸大学発達科学部人間表現学科卒業であり、わたし難波の先輩にあたる。これは田中秀和ファンに会うたびに自慢している。不要な注を読んでいただき感謝する。

*2:アレンジャーのみならず、プレイヤーにも言及しているど〜でん(2020):・アレンジャーに言及しながら、音楽理論的な分析を中心に詳細な分析を行なっているリーティア(2020):・そして、アレンジャーと音楽的表現に焦点を当てている、あんでぃ(2020):

*3:わたしが専門とする分析美学における批評の哲学を参照すれば、アーノルド・アイゼンバーグ的な知覚の伝達としての批評、ノエル・キャロル的な理由に基づいた価値づけとしての批評を目指していると言える(Isenberg 1949; Carroll 2009)。批評の分類については、難波(2019b)を参照のこと。また、本稿と並んでより独特な楽曲の解釈を目指したものとしてつぎのものを。Official髭男dismの「Pretender」を扱った、難波(2019c):・加えて、知覚の哲学から浦上・想起「芸術と治療」を批評した記事は、難波(2019a):

*4:以下、作詞:鹿乃、作曲:田中秀和MONACA)クレジットは省略する。

*5:ここでふれられたペルソナ概念については、ナンバ(2018):・そして、難波(2018)も参照のこと。