Lichtung Criticism

ナンバユウキ|美学と批評|Twitter: @deinotaton|美学:lichtung.hatenablog.com

質感旅行スケッチ

はじめに

「質感旅行」という言葉は急に目立って現れた。本稿はその概念を公式の質感旅行的鑑賞と非公式の質感旅行的鑑賞に区別し、聖地巡礼という行為との関係を整理する。

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経緯

聖地巡礼と質感旅行についての言説が急に目立って現れる。起源は不明だが、目立つようになった理由は『ガールズ ラジオ デイズ』という作品の流行によると言えそうだ*1

整理をしてみた。

これに対して、より明晰な整理をする方が現れる。

おもしろそうなので図示してみる。

表現に問題がかなりありそうである(図1が聖地巡礼的鑑賞、言い換えて、公式の質感旅行とする。図2が質感旅行的鑑賞のつもり。)。

ただ、この図は理論的に入り組んでいるので、もっとシンプルに考えてよいはず。また、聖地巡礼と質感旅行として区別するのもよい手とは言えないだろう。

公式/非公式の質感旅行

そこで、あらためて、上述の聖地巡礼と質感旅行とを、「公式の質感旅行」「非公式の質感旅行」として区別してみる。

  • 公式の質感旅行的鑑賞:ある物語的フィクションの画像や映像が表象している対象を現実に見つけて、その現実的対象と虚構的対象との重なりを味わう行為。

たとえば、『涼宮ハルヒ』でしばしば主要キャラクタたちが集合し、会議を行う喫茶店のモデルとなった珈琲屋ドリームに出かけていって、メロンソーダを頼んだりする行為。その際には、しばしば、「SOS団がいつも頼んでるやつだな」といった言語化しにくい妙な感動がある。

対して、こうした聖地巡礼的鑑賞のさらに特定の鑑賞の仕方として、非公式の質感旅行的鑑賞がある。

  • 非公式の質感旅行的鑑賞:ある物語的フィクションにおいて表象されていないが、しかし、その物語的フィクションに関係しているだろう現実の土地や風景を手がかりに、その物語的フィクションにおいてありえそうな事柄やキャラクタの生活などを想像する行為。

たとえば、西宮北口から梅田へ阪急電車に揺られながら、車窓を眺めて「ハルヒキョンはこの景色を見ているのだろうか」と想像して、公式には存在しない物語や出来事を楽しむ行為(「古泉は神戸大学に行ってて、六甲道のきつい坂登ってそうだな」とかも不可能ではないが、作中で示されていないほど質感旅行は難しくなるだろう。)。二次創作的聖地巡礼

ここからもわかるように、質感旅行と聖地巡礼というのは、対概念というわけではない。両者は排反ではない。聖地巡礼という大きな枠組みの中に様々な鑑賞行為があり、そのうち、公式/非公式の質感旅行が指摘されているというかたち。

非公式の質感旅行のおもしろさは、物語的フィクションの内容の現実世界における再確認の感動というより、自身でキャラクタに関して作品中には存在しない情動やイベントを現実の対象を手がかりに想像することによる美的快にあるかもしれない。

覚書

  • 質感旅行はガルラジのような音声や文字媒体が主たるメディアである作品と相性がよいかもしれない。ゆえに質感旅行について知りたければ、ガルラジを鑑賞した方がよいかもしれない。
  • 聖地巡礼的鑑賞の一形態として理解できるとすれば、ほかにも質感旅行とおなじレベルの他の聖地巡礼的鑑賞経験があるかもしれない。

ナンバユウキ(美学)Twitter: @deinotaton

*1:通称ガルラジについては以下がわかりやすい。関係する文書のまとめは拙ブログもあります。