【11/25 文学フリマ東京ク07・08】サークル紐育春秋『硝煙画報』第1号に『鳩羽つぐ』批評を寄稿しました
サークル紐育春秋さんにお誘いいただき、11/25、文学フリーマーケット東京[ク07・08]にて頒布予定のインディペンデントカルチャーマガジン『硝煙画報』第一号に批評を寄稿いたしました。
新条アカネと宝多六花がめじるし。かっこかわいい。
『硝煙画報』について
アニメ、音楽、そして鳩羽つぐの三つの特集にくわえ、ゲーム、ファッションからはじまり、文学、映画、百合、サイエンスに関する記事、そして、イラスト、まんがにいたるまで、さまざまなカルチャーに関するあれこれを詰め込んだ、ディープな「インディペンデントカルチャーマガジン」です。
サークル紐育春秋11/25文学フリマ東京の新刊 硝煙画報1号は巻頭GOD SPEED YOU⚡あしっどアニメ特集のほか音楽や鳩羽つぐを特集。さらに文学やファッション、映画やゲーム、まんが、科学や百合考察、各種コラムなど豪華執筆陣を迎えたインディペンデントカルチャーマガジン🎄宝多立花と新条アカネが目印 pic.twitter.com/sgTsJWcwuE
— sailor@紐育春秋11/25文学フリマ東京ク07・08 (@nycghosts) 2018年11月16日
寄稿記事について
ナンバは「鳩羽つぐとまなざし——虚構的対象を窃視する快楽と倫理」を寄稿しました。分析美学を手がかりに、鳩羽つぐを美的に、そして倫理的に分析しています。分量は1万字弱です。
構成
- 1.窃視と虚構
- 1.1.窃視の快楽
- 1.2.窃視者になること
- 1.3.組み込みと窃視
- 2.見ることの倫理
- 2.1.鳩羽つぐを見ることは不道徳か
- 2.2.まなざされる鑑賞者
内容
序のぶぶんでおおまかな内容と目的を語っています。
本稿では、分析美学における議論を援用しつつ、「窃視」「虚構」という概念を手がかりとして、『鳩羽つぐ』という作品がもたらす鑑賞経験の特徴を明らかにし、その倫理的問題を考察する。そして、この作業を通じて、この作品についての批評や鑑賞、あるいは研究に際して有用な概念と議論の枠組みを提示することを目指す。
本稿の構成は以下の通り。第一節では、「窃視と虚構」という概念を手がかりに、鑑賞者が担う役割と鑑賞において彼女が得ている快について分析し、『鳩羽つぐ』を虚構的で窃視的な作品として特徴づける。第二節では、虚構的対象を窃視する行為の倫理的問題を問う。
鳩羽つぐについては、いぜん、その意図の不明性に注目して、「不明なカテゴリ」という概念から分析しました*1。ですが、その特殊性を語るにあたっては、「窃視」の側面から分析する必要も感じており、断片的なアイデアを書き連ねていました。そこで今回お声がけいただき、発表するよい機会となりました。
また、さいきん、作品の倫理性とその鑑賞経験との関わりとその批評の可能性について関心をもっており、本稿では、美的なものと倫理的なものとを批評において扱うことを試みました。読み手としては、鳩羽つぐはもちろん、分析美学、作品と倫理に興味がある方も意識しています。ぜひお手にとってお読みいただければ幸いです。
ナンバユウキ 記
*1:ナンバユウキ「『鳩羽つぐ』の不明なカテゴリ:不明性の生成と系譜」Lichtung Criticism、http://lichtung.hateblo.jp/entry/2018/03/25/044503(2018年11月16日最終アクセス)。